「この人をあらゆる苦しみから守ってやりたい」という発想は、まず病的である。先回りは病だ。ヒステリーである。
現実において他者の苦しみを先回りすることなどできない。先回りしたと思い込み、安心したいという欲望だけがある。

「いい大学にいかせてやりたい」から「障害との付き合い方を教えてやりたい」、「おいしいご飯を食べさせてあげたい」まで、お人形の家にかわいい家具を置いてあげたい!と言っているのと変わらない。言った当人はそれで満足する。
「〜のために」という言葉の悍ましさを自覚できなくなるのは恐ろしい。

他者を守る、守れると思っていることが、傲慢も甚だしい。対象は人でなくても構わない。ペットの飼育マナーが年々増えてゆくのも似たような病気ゆえである。

過失があろうがなかろうが、死ぬものは死ぬ。死んだら、死んだである。どう考えても不毛な「何かできたんじゃないか」にやたら足を突っ込もうとするのは、罪悪感がポルノだからだ。「自分が悪い」「あいつが悪い」は気持ちが良い。

どんな網の目を張り巡らせたところで、すり抜けるものはすり抜ける。網の目を細かくすれば救えるわけでもない。尽力も手抜きもない。死ぬものは死ぬ。