陰謀

「毒親」についての語りはすべて、生身の人間と人間のあいだに確たるひとつの物語が存在するという幻想と、思い出せる範囲の記憶が自分の人格を形成しているという誤解に基づく、陰謀論である。

そもそも内外に「自己を物語る」という行為が、物語-陰謀を現実の中に見出すことから免れ得ない。つまり陰謀論的なのは「毒親」に限らない。「毒親」に対して便宜的に「蜜になる親」という対義語を立てることにするが、これも同じく陰謀論的思い込みの産物である。

現実の因果関係および相関関係はすべて重層的で、分析しつくすことは不可能である。選別された記憶、あるいは窺い知らぬ他者との関係について語ることは、肉眼で見える星を数えることと等しい。
「自分のことは自分が一番理解している」という言説、あるいは「当事者こそが真実を語り得る」という言説は、すべて偽りである。自己紹介ほど疑わしいものはない。ただし、無価値ではない。